朝ドラ「エール」で柴咲コウさんが演じているオペラ歌手・双浦環。
彼女は世界を股にかけて活躍する歌手という設定ですが、モデルとなっている三浦環さんも同様に世界的に有名なオペラ歌手でした。
柴咲コウ演じる双浦環のモデル三浦環とは?
Embed from Getty Images朝ドラ「エール」で柴咲コウさんが演じる双浦環のモデルは実在します。
それが三浦環さんです。
三浦環さんは日本人初のオペラ歌手であり、1900年代初めから半ばまで日本やヨーロッパ、アメリカなどで活躍した世界的なオペラ歌手です。
「エール」では双浦環が古山裕一(モデル:古関裕而)が作曲した「船頭可愛や」を歌いヒットさせるという重要なエピソードが登場しますね。
三浦環さんも古関裕而さんの「船頭可愛や」を歌うのですが実際はあまりヒットしなかったそうです(藤丸さんのモデル・音丸さんバージョンの方が大ヒット)。
それは置いておいて、この「船頭可愛や」を発売した当時、実は三浦環さんはすでに50歳を越え、世界各地での歌手活動をやり終えて、日本に帰国したあとだったんです。
ドラマの方はフィクションなので時系列も史実とは異なるのでしょうが、双浦環こと三浦環さんの世界での活躍については詳しく触れられていないので、三浦環さんの世界での評価について調べてみました。
三浦環の主な功績
三浦環さんは歌手としてこのような偉業を成し遂げています。
- 東京音楽学校在学中に初の日本人オペラに出演する
- 1911年帝国劇場開館時より、劇場に所属しプリマドンナとして活躍
- 1915年に渡英し日本人歌手初のロンドンデビューで注目を浴びる
- プッチーニのオペラ「蝶々夫人(マダム・バタフライ)」を日本人初主演
- 1918年「蝶々夫人」でアメリカデビュー。メトロポリタン歌劇場(MET)に登壇した初の日本人に
- アメリカやメキシコの都市で200回近く公演
- 1920年に渡欧し、イタリアやフランス、スペインなどの都市で公演を行う
- 世界各地で蝶々夫人を計2000公演行う
ご覧の通り世界を股にかけた活躍をしています。
現代だと、例えば俳優さんであればハリウッド映画の脇役に出演すれば「海外でも活躍」という冠が与えられますが、三浦環さんはちょろっと出演のレベルではありません。
2000公演ですよ。
海外に渡った1915年から永住帰国する1935年までの歌手としての黄金期である20年間をほぼ海外で、しかもプリマドンナとして活躍していたわけですから、正真正銘”世界の三浦環”なんです。
三浦環の海外の評価は?
世界各国で2000回以上もステージに立ってきた三浦環さん。彼女のその功績が世界からの評価を物語っていますよね。
また、三浦環さんの実力が分かるこのようなエピソードもあります。
1915年に渡英した三浦環さんは、イギリスのオペラ界の超重鎮ヘンリー・ウッドに師事しようとテストを受けたのですが、彼から「もはや教えることはない」と評価され、そのまま歌手デビューを果たしたそうです。
また、イタリアのローマで初めて三浦環さんの「蝶々夫人」を観劇した作曲者のプッチーニは「世界最高のマダム・バタフライのプリマドンナだ」と絶賛し、自宅に招待したそうです。
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三浦環の代表作は蝶々夫人
三浦環さんの代名詞と言えばプッチーニの三大オペラの一つである「蝶々夫人」です。
「蝶々夫人」は日本を舞台にした、芸者とアメリカ軍人の悲恋を描いた有名な作品です。
三浦環さんが長い間、海外の第一線で活躍できたのは日本人がモデルとなったこの作品だったからこそなのかもしれません。
しかし、”日本人だから””珍しいから”というだけでは20年間も活動できなかったでしょう。
とにかく歌唱力が大前提ですよね。いくら日本人とは言え、オペラの本場ヨーロッパの歌手よりも実力が劣るようであるなら「やはり東洋人にオペラは無理だ」と言われかねなかったでしょう。
また、三浦環さんは幼少期から培った日本舞踊の技術を蝶々夫人に取り入れたことで、そのエキゾチックな気品が評価されたと言います。
もし彼女に日本舞踊の素養がなければ、日本舞踊を取り入れずヨーロッパのやり方の真似だけしていたらここまでの活躍があったでしょうか?彼女の経験と努力と才能どれか一つが欠けていたら成功はなかったかもしれません。
三浦環は歴史に残すべきオペラ歌手
三浦環さんは日本人で唯一「グローブ・オペラ辞典」に名前が載っている人物です。
グローブ・オペラ辞典というのはオペラの百科事典のようなものです。
この辞典に名前が掲載されるということはどういうことかというと、彼女がオペラ界に大きく貢献したということはもちろん、後生にわたって語り継がれる人物であるということを意味しているのではないでしょうか?
つまりTAMAKI MIURAという日本人はこれから先のオペラの歴史に名を残し続けていくわけですね。