草刈民代のバレエの実力は世界レベル?親のコネとの噂も

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草刈民代のバレエの経歴と実力は世界レベル?親のコネとの噂も

2020年7月30日

女優として人気ドラマに数多く出演している草刈民代さんが、若い頃に日本を代表するバレリーナだったことはよく知られていますよね。

そんな草刈民代さんのバレリーナ時代の実力について調べてみました。

44歳までバレリーナだった草刈民代

草刈民代さんは今でこそ女優が本業ですが、若い頃は日本屈指の主役級人気バレリーナでした。

草刈民代さんの経歴(概要)は以下の通りです。

  • 1973年 小林紀子バレエアカデミーにてバレエを始める
  • 1978年 橘バレエ学校入学
  • 1981年 牧阿佐美バレヱ団に参加、83年に正団員となり同バレエ団主役級ダンサーに
  • 1990年 ソ連・レニングラードで初の海外公演、その後海外や国内の公演でゲスト出演を重ねる
  • 1996年 映画「Shall we ダンス?」で女優初挑戦 映画は社会的ブームを巻き起こす
  • 1999年 巨匠振付家ローラン・プティの「若者と死」出演、その後彼の作品11作品に出演する
  • 2005年 愛・地球博公演をプロデュース&出演し、総動員数2万5千人を記録
  • 2009年4月24日 自身がプロデュース・出演した公演「エスプリ~ローラン・プティの世界~」の最終日をもってバレリーナを引退 その後女優へ転身

<バレリーナとしての受賞歴>

  • 1987年 全国舞踊コンクール第一部第一位、文部大臣奨励賞
  • 1988年 村松賞
  • 1989年 橘秋子賞
  • 1997年 服部智恵子賞

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草刈民代のバレエ本当の実力は?

草刈民代さんが世界で活躍したバレエダンサーであるということはメディアなどを通じで知っている人も多いでしょう。

しかし、実際どれほどのレベルのダンサーだったのか気になりますよね。

私はバレエに関する知識がないので、バレエに詳しい方々の意見を調べてみました。

すると意外にも辛口な意見が…

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草刈民代は”世界的ダンサー”ではなかった?!

テレビなどでは草刈民代さんを”世界的ダンサー”と紹介していますが、バレエ界では認識がすこし異なるようです。

草刈民代さんが”世界的”ではないと言われる理由は以下の通り。

  • 国際コンクールで実績を上げていない(ローザンヌで予選落ち、ライバルと言われた吉田都さんはスカラシップ賞受賞)
  • 海外のバレエ学校で学んでいない
  • 内股気味でバレエに適した足の形ではない
  • 海外で活躍できるプリマドンナレベルのダンサーと比較して技術が足りない

世界で活躍するダンサーは世界の名門バレエ学校で学ぶことが一般的なようで、国内で技術を磨いた草刈さんは、バレエにストイックに打ち込んでいたことは認められているものの、”世界的ダンサー”といえる実力を持っていなかったようです。

親の財力でプリマに?

実力が不足しているのになぜプリマになれたのか不思議ですよね。

そこには草刈民代さんの親御さんの経済力が関係しているようです。

草刈民代さんの父親・草刈龍平さんは中央精版印刷株式会社社長でした(現在は草刈りさんの妹の明代さんが社長)。つまり草刈民代さんは有名企業の社長令嬢なんですね。

なので草刈家は草刈民代さんのバレエ活動にたいして惜しみなく資金援助できたんです。

たとえば親の財力でバレエ団に練習場所を提供したり、公演チケットを大量買いして主役をもらったり、海外バレエ団にお金を払って公演にゲスト出演させてもらったり、などの噂がバレエに詳しい方の間では多くの人の知る所となっているようです。

その噂がどこまで本当なのかは不明ですが、もし本当であったとしても、肝心のバレエの実力が全く足りないのであれば、いくらお金を積んでも役をもらえることはないでしょうから、草刈民代さんが長年努力し続けてきたことは真実ですよね。

草刈民代が日本屈指のバレエダンサーだと言える理由

バレエの知識がある人たちから見てワールドクラスの実力とはいいがたい草刈民代さんですが、それでも彼女が日本屈指のバレエダンサーであると認める人は多いようです。

その理由の1つ目は、彼女には特別な「華」があったということ。

スタイルの良さと美貌は多くの人が知るところですが、そんな草刈さんが舞台に降り立つと唯一無二の華があったようです。

そして2つ目はファンが多かったこと。

草刈りさんの公演はとにかく客入りが良かったそうです。バレエは芸術でありショービジネスですから、多くのお客様を呼べることもダンサーの能力の一つということでしょうか。

そして3つ目がバレエの普及に大きな貢献をしたことです。

社会的ブームになった映画「Shall we ダンス?」では、多くの日本国民がバレエダンサーの草刈民代さんの美しさに魅了されました。当時彼女に憧れてバレエを習いはじめた子や、子に習わせた親も多かったのではないでしょうか。

そして彼女がバレエ界のアイコンとなったことで、国民にとってバレエがすこし身近な存在となりました。

多くの人を動かせる人間というのは決して多くありません。それができた草刈民代さんは日本のバレエ界のなかでもとても貴重な功労者であり成功者だと言えるでしょう。

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まとめ:草刈民生は技術で劣るも日本トップクラスのバレエダンサー

草刈民生さんは国内のバレエ団でプリマをつとめる実力はあったものの、世界トップクラスのダンサーと比較すると技術が劣るレベルだったようです。

しかし、実力不足を本人の美貌やキャラクターがカバーし、日本屈指のバレエダンサーに登りつめました。

バレエダンサーとして長年活躍できたのはたくさんの人に「見たい」と思わせる存在でありつづけたから。そういう点でも草刈民代さんは日本トップクラスのバレエダンサーと言えるでしょう。

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