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「麒麟がくる」架空人物・駒は不要?出過ぎでつまらない?!

2020年大河ドラマは明智光秀の生涯を描いた作品「麒麟がくる」です。

主役の長谷川博己さんをはじめ、演技派俳優揃いの今作は見応え充分。

そんな「麒麟がくる」で物語の鍵を握る一人が、門脇麦さん演じる駒という女性です。

その駒の存在がドラマをつまらなくしているという意見があるようです。


「麒麟がくる」のキーパーソン”駒”は架空の人物

「麒麟がくる」で門脇麦さんが演じる女性・駒は、京の町医者・望月東庵の助手を務めています。

駒はもともと戦災孤児であり、ごくごく一般的な町人でしたが、どんな病にでも効く丸薬を作り始めてからは影響力のある商人や武将らと接点を持つようになり、しまいには将軍からも寵愛を受けるようになります。

そんな彼女は物語の重要な場面に度々登場し、彼女の言動が人々の心に影響を与えていきます。

まさに「麒麟がくる」のキーパーソンと言える駒ですが、実は彼女は実在の人物ではありません。

師である望月東庵もまた架空の人物です。

時代物の作品で架空の人物やストーリーが登場することは決して珍しいことではありませんが、「麒麟がくる」では架空の人物が物語に大きな影響を与えています。

架空キャラなのに出過ぎ!視聴者の批判が駒に集中?!

「麒麟がくる」の物語も終盤に差し掛かっていますが、ここのところ、作品に批判的な意見が増えているようです。

その主な批判の原因が”駒”です。

駒のような実在しない人物が、歴史的重大な局面に度々登場することにストレスを感じる視聴者が増えてきているんです。

困った時の駒頼み

この作品では駒は人物と人物を結びつける役割を担っています。

しかし、視聴者の多くは一町人に過ぎない駒という人物が将軍や武将といった一般人とは縁遠い人々と次々に知り合う展開がファンタジーすぎると感じるようです。

もちろん、大河ドラマ自体が史実に基づいたファンタジーではありますが、それにしても駒という架空の登場人物に大事な展開を任せすぎという点は、歴史を知りたい視聴者にとって不満点となるでしょう。


最近はとくに駒の活躍する場面が多くなっているので
「とりあえず駒を出しておけばなんとかなる」という製作者の都合も感じ取れなくもありません。

また、駒以外にも東庵や伊呂波太夫という架空キャラが帝や各地の武将らの贔屓にされすぎている点にも同じように不満を感じる人が多いようです。

なぜ駒が激推しされているのか?

では、制作陣が駒をはじめ、東庵や伊呂波太夫ら架空キャラを大活躍させるのはなぜなのでしょうか?

その理由を考えてみました。

1.歴史的資料の少なさ

「麒麟がくる」の主人公は明智光秀です。

しかし、明智光秀と言う人物は本能寺の変で有名ではあるものの、若い頃の資料は殆どありません。

そのため、この物語は彼が美濃出身だと言われていることや、同時代に活躍していた斎藤道三や織田信長のような人物の資料を参考に、史実を縫い合わせるように脚本が作られています。

ドラマの前半では光秀は旅をしながら、いろいろな人と出会いさまざまな世の中を見て歩きます。たとえば、京都に滞在していたときは、松永久秀と話をする機会があったかもしれない、何かのきっかけで将軍・足利義輝と出会ったかもしれない。そんなふうに想像の翼を広げながら、歴史的な事実という点と点をつなげながら書くことは本当に楽しいことです。

引用:麒麟がくる公式サイトより

このように主人公の光秀は出来事と出来事を結びつける縫い糸の役割を担っているわけですが、あっちもこっちもと光秀がすべての人物とつながっていくのはストーリー的にも無理があります。

そのため、国を跨いで人と人とを結びつける別のキャラクターが必要だったわけです。

それが医師の東庵と助手の駒。そして旅一座の伊呂波太夫ということです。

もしこれが実在のキャラクターだ史実との兼ね合いにとらわれなければなりませんが、架空キャラだからこそ、柔軟にストーリーに組み込めるのでしょう。

2.庶民の視点

この物語の舞台は戦国時代です。

戦国時代というと勇ましく華々しい時代というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか?

ですが、この物語のテーマは武将の成り上がりストーリーではありません。

「麒麟がくる」つまり、世の平和の追求がテーマです。

そのテーマの中で欠かせないのが庶民の視点です。

その庶民を代表しているのが駒であり、東庵であり、伊呂波太夫なのだそうです。

駒も、東庵も、伊呂波太夫も、もともと三河の百姓だった菊丸も、言ってみればみんな庶民で、非常に低い目線で世の中を見ながら、争いのない世になることを望んでいます。普通に働いて、普通に暮らしたいと思っている。でも、いざ戦がはじまると戦火に巻き込まれ、多くを望まない暮らしさえも壊され、命を落とすのは、このような庶民たちです。


戦国時代の物語というと英雄たちが絢爛豪華(けんらんごうか)に戦う戦国絵巻というイメージかもしれませんが、そうじゃない人たちのほうが圧倒的に多い。そういう「名もなき人々」の代表としてオリジナルの人物を登場させています。

引用:麒麟がくる公式サイトより

つまり、大事な場面において庶民がどのような気持ちなのかを代弁するのが駒の役割ということです。

そのため、物語が大きく動くときには逐一駒を登場させているようです。
(その結果もはや駒は”名もなき人”レベルではなくなった気もしますが)

まとめ:駒の出過ぎには理由があった

駒を含めた架空の主要キャラは、物語のなかでも”庶民の視点”という重要な役割を担っていることがわかりました。

そして、彼女らのように柔軟に動かせるキャラがいるおかげで、資料の少ない明智光秀周辺の出来事が面白く描かれていることもわかりました。

おそらくですが、この物語のテーマである麒麟の到来を描く上で、駒たち庶民の存在は不可欠でしょうから視聴者が「駒が出すぎ」だと批判しても今後もますます駒が重要な役割を担っていくのではないかと予想します。

ちなみに、駒の批判ばかりを描いてきましたが、門脇麦さんの演技は素晴らしいと思います。

十兵衛に憧れる無垢な女の子から丸薬を作り正義感と希望ぶ燃える女性、そして要人と渡り合うキモノ座った強い女性へと一人の女性の成長を見事に表現されています。

彼女の演技が巧みだからこそより駒の存在感が引き立つのかもしれません。

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